父の歩みを思いながら

父は昔からとても真面目で、家族のために働き続けてきた人でした。詳しい生い立ちについて語ることはあまりありませんが、その生き方の芯に「責任感」があったことは間違いありません。

父の生い立ちと戦争の影

家では寡黙な人間でしたが、幼い頃に戦死した祖父の遺言で「姓と墓を守るように」と託され、若かった祖母には「別の人と再婚してよい」と告げられたと聞きました。父はその後、自分で突き止めた祖母の家に会いに行ったそうですが、結局会えなかった。その話をするときだけは、父は感情をあらわにし、涙ながらに繰り返し語っていました。そうした姿に、父の苦労や寂しさを強く感じずにはいられませんでした。

「そういう時代だった」と言えばそれまでですが、戦中戦後を生き抜いた父の人生は、私には到底耐えられないような厳しさに満ちていました。昭和10年代に生まれ、戦争という現実を背負った父と、高度成長期に生まれた私とでは、時代背景も暮らしもまったく異なります。その違いを改めて思うと、父が歩んできた道の重さがより深く伝わってきます。

今を生きる父の姿と私の思い

最近は体調を崩して入院することもあり、私にとって父の存在はますます大きなものになりました。病室で静かに過ごす姿を見ていると、かつての厳しさよりも「生きていてくれること」そのものがありがたく感じられます。

そして私自身の人生を振り返るとき、父の存在が少なからず影響していることに気づきます。夫が姓を変えて私の家に来てくれたことも、父にとっては大きな意味を持つ出来事でした。私にとっても、その選択をしてくれた夫の思いやりを忘れることはありません。

父の歩みを思うとき、そこには家族の歴史や私自身の選択も重なって見えます。これからも感謝とともに、静かに見守っていきたいと思います。

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