社交的でない自分に悩んでいた頃

若い頃の私と友達関係

若い頃の私は、決して大人しいタイプではありませんでした。いつもクラスの中心にいる友達グループの中にいて、表面的には人付き合いもできていました。
けれど本当の意味で積極的にコミュニケーションをしていたわけではなく、興味のある話題なら夢中で調べたり盛り上がることができても、興味のない話題では何となく合わせるだけ。聞き役に徹することも多く、大きなトラブルはありませんでしたが、心の底から楽しめていたわけではありませんでした。

社交的な友達のそばにいたおかげで孤独を感じることはなくても、「私もあの子のように積極的に話しかけられたら」と憧れる気持ちは常にありました。

社会人になってから

社会人になっても、その傾向は続きました。飲み会の場は好きで、酔えば饒舌になれる私でしたが、素の自分はやはり積極的に話題を広げることが苦手でした。
自分ひとりでいる分には問題はなかったのですが、周囲と関わる場面では「もっと明るく振る舞えたらいいのに」と思うことが多かったのです。

子育て期に訪れた壁

私がはっきりと「困りごと」として認識するようになったのは、子育ての頃です。
いわゆる「ママ友」という存在は、私にとって相性が合って自然に友達になる人とは違い、あくまでも子どもを通じて知り合った“他人”でした。お互いに「〇〇くんのお母さん」として関わる関係に、私はどうしてもなじめませんでした。

距離感のつかみ方が分からず、積極的に関わることもできない。相手も私を「子どもの母親」という役割でしか見ていないように感じ、居心地の悪さを抱えながら過ごしました。この時期こそが、私にとって対人関係における大きな壁となったのです。

少人数で安心できる関係

振り返ると、私は人間関係そのものが苦手だったわけではありません。むしろ、少人数の友人とは穏やかに関係を続けることができていました。相手に合わせて行動できる柔軟さも持っていたため、人に嫌われることはほとんどありませんでした。

ただ、大人数の中で自分を表現するのが苦手だっただけなのです。
「私には私に合った人間関係の形がある」――そのことに少しずつ気づき、受け入れられるようになったことで、気持ちがとても楽になりました。

多様性の時代が後押ししてくれた

そして今、多様性が尊重される時代になりました。
「みんなと同じでなくてもいい」「自分に合ったスタイルでいい」という考え方が広がり、昔のように「社交的でなければならない」と思い込む必要がなくなりました。

この時代を経験できたことは、本当にありがたいことです。
苦しんでいた過去の「こうでなければ」という思い込みから、ようやく解放されたように感じます。

まとめ:自分らしい生き方を大切に

社交的に見えるかどうかよりも、自分が安心できて心地よくいられる関係を大切にしていけばいい。
「社交的ではない」と悩んでいた過去は、今となっては「自分に合った人間関係を選ぶ力」を育ててくれた時間だったのかもしれません。

これからも私は、少人数で穏やかに、そして自分らしい生き方を大切にして暮らしていきたいと思います。

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