「発達障がい」という言葉をよく耳にするようになったのは、ここ15〜18年ほどのことだったと思います。
発達特性への気づき
私自身が「もしかしてこの特性を持っているのではないか」と意識するようになったのは、長男がASDとADHDの診断を受けてから数年後のことでした。
彼の障がいについて学び、理解を深めていくうちに、ふと「これらの特徴は、私自身にも当てはまるのでは」と気づいたのです。
幼少期からの苦手さ
思い返せば、幼い頃から人とのコミュニケーションが苦手で、聞き役に回ることが多くありました。
大人しく見える一方で、興味のない話は頭に入らず、相手に同調しているように見えても、実は理解できていませんでした。
授業中に発言することも苦手で、予定が狂うとパニックになり、予想外のことに対応できないこともしばしばありました。
それでも、表面的には人に合わせられるように見えていたため、自分の特性を誰かに指摘されることはありませんでした。
PTAや会議での困難
私は特に「自分の意見を言う場」が苦手です。
PTAの話し合いや会議の席で突然意見を求められると、頭の中が混乱して真っ白になり、何を話しているのか分からなくなります。
この「即時対応の難しさ」も、ASDの特性として振り返れば理解できることでした。
結婚と子育ての始まり
私たちは出会って1か月ほどで結婚が決まり、式までにデートは数回しかありませんでした。
結婚後すぐに妊娠・出産となり、夫婦の生活は「子育てから始まった」と言っても過言ではありません。
当時の私は「姓を後世に残さなければ」「男の子を二人は産まなければ」という価値観に縛られていました。
さらに「子どもは三人が理想」と思い込み、夫と相談することもなく自分の意思で突き進んでしまったのです。
三人の子育ての過酷さ
しかし、現実は理想通りにはいきませんでした。
長男は多動があり、不器用さから怪我や病気が絶えず、学校からの呼び出しもしょっちゅう。
次男・長女も年子で手がかかり、毎日が予想外の連続でした。
夫は当時、片道2時間以上かかる通勤で平日はほとんど協力できず、私は子ども3人を一人で抱え込む日々。
救急病院に駆け込むことも多く、ママ友とのおしゃべりや送迎も要領よくこなせず、疲れ切っていました。
家族旅行でも予定が狂うと焦ってパニックになり、楽しむ余裕がありませんでした。
今振り返れば、これも私の特性による「予定外に弱い」という一面でした。
子育てを通じての気づき
独身時代は「自分のことだけなら何とかやり過ごせた」のですが、子育てとなるとそうはいきません。
自分の特性が、生活全体を複雑にし、育児の過酷さをさらに増していたことに気づいたのです。
こうして振り返ると、長男の診断が私にとって大きな転機でした。
あの気づきがなければ、今のように自分を理解しようとも思わなかったかもしれません。
時間はかかりましたが、自分の特性を知ったことは確かに大切な第一歩でした。