父の電話で気づいた、“自分の意思で決める”ということ

今日は、毎週恒例の長男の部屋の掃除の日でした。
昨日、父に電話をして「今度、息子のアルバイト先の飲食店に食べに行こう」と話していたのですが、当日になって息子が休みだと分かりました。

私は「今日は息子が休みだから、そのお店には行けないけれど、実家に顔を見に行こうか?」と父に聞きました。
すると父は「息子が休みなら、こんでええ」と言いました。

その瞬間、「またか…」と少し心が動きました。
でも今回は違いました。


父の言葉を、そのまま信じていい

「ああ、父が来なくていいと言ってくれたのだから、私は自分の判断で行かない。それでいい」
そう思えたのです。

頭の片隅には、以前姉に言われた
「たまには顔を見せるもんや」
という言葉がふわっと浮かびました。

でも今回は、姉の声ではなく、自分の感覚を選びました。

父がそう言ったのなら、その言葉を信じていい。
それが私の“選択”でいい。
そう思えたことで、胸のざわつきがふっと静まり、不思議と安心できました。


思いがけない父の電話で気づいた、嬉しさ

しばらくすると、父から再び電話がありました。

「昼ごはんを一緒に食べに行くか?」

思いもよらない言葉に、心がふっと温かくなりました。

これまでなら、
「さっき行かなくていいって言ったのに…」
とイラッとしていたかもしれません。

でも今日は違いました。

“父が私を気にかけてくれた”
その一点が、素直に嬉しかったのです。

私はやわらかく、
「ありがとう。でもまた今度、息子のところへ行く時に食べに行こう」
と返しました。

その後、父の体調や畑のことを尋ねて、少しゆっくり話すこともできました。
会話は長くは続かなくても、心の距離が少し縮まったような気がしました。


相手の言葉の裏にある、不器用な思いや照れ

父や家族の言葉の裏には、その人なりの不器用な思いや照れが隠れている。
そう感じられるようになったことが、私の中で大きな変化だったのかもしれません。

これまでは、家族や姉の言葉に影響され過ぎて、
「どう感じるべきか」を他人に委ねていました。

でも今は、自分で決めていい。
感じ方も、行動も、自分の意思で選んでいい。


小さな気づきがくれた、“自分の心を守る方法”

今日の電話の出来事は、そんな小さな気づきをそっとくれました。

人との関わりの中で、
自分の心の声を大切にできるようになりたい。

そう思えた一日でした。

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