後悔から学んだこと

想定していなかった出来事

あの頃、娘は学校に通うことが辛くなり、別の選択をせざるを得ませんでした。私にとっては受け入れるのが難しく、世間体ばかりを気にして、娘の気持ちに寄り添うことが出来ませんでした。

後になって振り返ると、もっと柔軟に対応できたのではないか、もっと早く娘の思いに気づけたのではないか、と悔やむことが多くあります。あの時、私自身の特性や考え方にも目を向けていれば、違った接し方ができたのかもしれません。

昭和世代の私にとって転校は大きな葛藤だった

学歴は大切で、転校や卒業以外の理由で学校を変えるという選択は、昭和世代の親である私にとって本当に悩ましいものでした。
「本当にここで違う選択をすることは、娘の将来にとって良いことなのか?」
「あと少し無理をすれば続けられるのではないか?」
これまで学校に入学するまでや入学してからの積み重ねてきた努力を思うと、決断は本当に苦しいものでした。

固定されたグル-プを好まなかった娘の価値観

しかし娘は、中学高校時代によくある「固定されたグループで常に行動する」という関係性を好みませんでした。
むしろ、部活の仲間という枠や女子だけという枠を超えて、男女問わずいろいろな友達と関わりたい、という価値観を持っていたのです。
その自由な考え方は周囲の同調圧力と合わず、次第に居心地の悪さを感じるようになっていきました。

先生すらも頼れない中で親として選んだこと

さらに、先生ですらも当てにならないような出来事もあり、親としては悩みに悩んだ末、最終的に「娘の意思を尊重する」という選択をしました。

娘の意思を尊重すると決めた瞬間

決意してからは、「この道以外に娘の幸せはない」と信じられるようになりました。
きっと笑顔の日々がやってくる。そう信じて親子で突き進んだのです。

振り返って分かる我が家だけの大切な選択

今振り返ると、この決断は私の人生をも大きく揺るがす出来事でした。
多くの人と同じ道を歩むのではなく、人目を気にせず子どもの気持ちを尊重し、我が家の価値観で判断したこと。
これこそが、後に「引っ越し」という大きな選択へとつながったきっかけだったのです。

完璧な親ではなくても、子どもを想う気持ちだけは変わらなかったはずです。その気持ちを信じて選んだ結果が、今の私たちの生活につながっているのだと思います。

後悔はゼロにはなりません。けれど、その時々で一生懸命に考え抜いて決めた選択を、自分で受け止めて歩んでいくことこそ大切なのだと、今になって強く感じています。これからも迷いや後悔を抱えながらも、一つひとつの出来事から学び、家族と共に歩んでいきたいと思います。

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