「なぜブログを書くのか ― 私の歩み(前編)」

結婚してからこれまでの年月は、楽しいこともありましたが、同時にたくさんの葛藤も抱えてきました。特に、発達特性を持つ長男の子育ては、私にとって大きな挑戦の連続でした。

子育てに訪れた大きな壁

長男は小さな頃からアトピー性皮膚炎がひどく、喘息や鼻炎もあり、体が弱い子でした。見た目はおとなしいタイプで、思っていることを言葉にできないため、友達からからかわれることが多く、常にいじめられているような状態。まだ発達障がいという概念が一般的ではなかった当時、先生からは「嫌なことは嫌と言えばいい」と言われましたが、それができなかったのです。

私は「このままでは馬鹿にされたままの人生になってしまうのでは」と不安を抱き、勉強で自信を持たせたい一心で中学受験を決めました。塾に通い、特待生として認められたこともあり、望んだ中学に合格できたのです。けれども入学後、家では床を棒でたたいたり、弟を爪でひっかいたり、夜に自転車で出かけたりと、これまで見られなかった行動が次々と現れるようになりました。学校生活も変わらずうまくいかず、成績も急激に下がっていきました。

一人暮らしと大学生活での困難

その後、なんとか進学した大学で一人暮らしを始めさせました。自立のきっかけになればと願ったのですが、大学の「自分で選び、自分で学ぶ」というスタイルは、決断することが苦手な息子には合っていませんでした。通学も途絶えがちになり、留年寸前の状況に。

1年目に入った寮では、友人からレポートを書けと命令され、徹夜で図書館の外にいたこともあり、生活はさらに乱れました。2年目からは大学近くで一人暮らしを始めましたが、部屋は洗濯物や腐った食べ物があふれ、足の踏み場もない状態。訪ねるたびに愕然とし、「これはただの怠けではなく、何かおかしい」とようやく気づきました。

診断を受けようと決意して

そこからようやく、発達障害の可能性を考え、精神科への受診を決意するに至ったのです。ちょうど世の中も発達障害という特性について知れわたってきたころでした。診断がつくまでにも、病院探しに翻弄されたり、やっと診断を受けても方針が合わずに転院を繰り返したり、、。来る日も来る日もこの事実に向きあってきました。

前編ではこの歩みを振り返り、次回の後編では、診断を受けた後の生活や、私がブログを書く大きな理由へとつながっていく部分を綴りたいと思います。

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