「なぜブログを書くのか ― 新しい一歩(後編)」

息子の診断がもたらした意味付け

振り返れば、私の人生は子育てを中心に本当にさまざまな出来事の連続でした。特に長男の成長を支える過程は、他の人にはなかなか想像できないほど多くの試練がありました。遠方の大学から地元に戻し、こちらの病院に通わせてようやく診断が下りた時、20年近く「なぜ?」「どうして?」と繰り返し悩み続けてきた子育ての日々に、ようやく意味付けができたように感じたのです。長い時間をかけて抱えていた謎が解け、心の底から少しホッとした瞬間でもありました。

しかし診断がついたからといって、すべてが解決するわけではありませんでした。薬を素直に飲まない、通院も途切れがち、大学生活も順調ではなく、結局5年半かけて支援を受けながら何とか卒業しました。その後も一般企業には馴染めず、就労支援に通ったり体験を繰り返したり…。けれどその中で「食事に関すること」や「子どもと接すること」が自分に合っていると気づいたようです。

一番困難なのは、息子が外では感じが良く見えるために、障がいがあると理解されにくいことです。家では、決まった食べ物を何時間も食べ続けたり、腐りやすいものを平気で出しっぱなしにしたり。かつては多動で朝から晩まで出歩くことも多く、近所の目を気にして心配が尽きませんでした。施設の見学にも行きましたが、本人が気乗りせず…。一方で私自身も常に付きっきりで関わることは難しく、息子との距離の取り方にはずっと悩み続けてきました。

発達特性に気づいた自分自身

そんな中での引っ越しは、私にとって大きな転機でした。物理的な距離ができたことで、ようやく自分自身の人生を振り返る余裕が生まれたのです。そこで気づいたのは、息子だけでなく私自身にも特性があるということでした。ぐるぐると思考のループにはまり、なかなか抜け出せない自分。それを冷静に見つめ直した時、「ああ、私にも特性があるのだ」とはっきり認めることができました。もしもっと早くその事実に気づき、理解していたら、あの頃の私はあんなに苦しまなくてもよかったのかもしれない…。そう思うと同時に、ようやく心の底から自分を受け入れられた気がしました。

家族にも受け継がれていた特性

さらに、自分の親や姉にも似た特性があることに思い至りました。家族の関係で繰り返されてきたすれ違いの背景も、今では少しずつ理解できるようになっています。私は病院に通い、自分自身と向き合うことを決めました。そして長い年月、誰にも話せなかった苦しみや迷いを、ブログという形で書き出すことで頭と心を整理できるのではないかと気づいたのです。

ブログを書くことは未来への贈り物

これから書き綴る文章は、過去の自分を癒し、未来の自分への贈り物でもあります。同じように悩む人に届けば嬉しいし、何より自分自身が「ありのままの私でいい」と思える一歩につながるはずです。そう信じて、私はこれからも静かに筆を進めていきます。

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