テーマ:姉に見張られても関係ないと気づいた日
日々の出来事から生まれた気づきを、静かに記録しています。
私はこれまで一度も「姉と親の介護を分け合おう」と思ったことはありません。
結婚して姓を継いだ時から、ぼんやりと「いずれ自分が親の世話を中心になって担うのだろう」と覚悟していたからです。
姉のこうあるべきという思い込み
その後20年以上の間、姉は長男の家に嫁ぎ、そちらの家を中心に生きていくのだろうと私は考えていました。けれども、離婚して実家に戻り、元の姓に戻した姉は、相変わらず私に責任を押しつけてきました。
嫁いでいる間も父が入院するたびに「毎日病院にいけ」と強要され、私が父本人から「今日は来なくていい」と言われて休んだ日には、姉から「行かなかったのはお前が悪い」と責められる。さらには「あんたが行かへんから、私が仕事を休んででも行ってきたんや」と怒鳴られ、その出来事を何年経っても蒸し返され続けました。姉の価値観に従わないと許さない――そんな態度に、私はずっと苦しめられてきました。
引っ越してからの父の入院の時も変わらぬ思い込み
数か月前私たちが引っ越した後、父が緊急入院した時も、姉はすぐに私が病院に駆けつけるかを見張っていました。私は緊急入院したと連絡があった時、夕方だったため、明日改めて行けるならそのほうがいいかもしれないと、病院に電話をしました。すると、明日でもいいですよ、と言われました。しかし、姉が見張っているのが分かっていたので、そこからすぐ駆けつけ、面会時間ぎりぎりの7時に病院にタクシ-で駆けつけ入ることが出来、怒鳴られずに済みました。
身内の入院、通院が絡むと何もしないのに口だけはさむ姉
父が退院してからも、「自分は離婚したので仕事を休むと職場の首を切られるから一日たりとも休めない。日中はあんたが家が遠くても、親のあとを看るといったのだから、毎回病院に連れていけ。引っ越したあんたが悪いんやから。こっちにおったら車でいつもあんたが病院につれて行けたやん。勝手に引っ越したんやから、連れて行くためのレンタカ-代もあんたが払い」、とまるで向こうが正しくて、こちらが間違っているかのような高圧的な言い方をしてくるのです。自分は一度たりとも医者に付き添うことはないのにもかかわらずです。
月に四回ほどあった通院は毎回ほぼ丸一日かかるほどですが、全部付き添いました。父の通院付き添いの時、始発の乗る予定だった電車が事故で止まっていて、別の手段でタクシ-に乗って駆けつけた時も、感謝のひと言すらなく「引っ越してもちゃんとみてくれるっていったんやから、来て当たり前」などと言って、怒ってくるのです。介護認定の立ち合いの時も、私が立ち合い、役所の職員の方に「お姉さんは一緒に住んでいるのに、立ちあってもらえないんですか?遠方からわざわざ大変ですね」と言われたほどです。
姉も発達特性があるのでしょう。相手の立場から見たものの考え方が出来ません。昔から、思うようにならないと大声で威嚇したり、色々怖い思いをすることがありました。
私は次第に、「姉が落ち着いて親の面倒を見ることは不可能だ」と感じるようになりました。姉の中の「こうあるべき」という強い思い込みを、私に押し付けてくる限り、協力関係など築けるはずがないのです。
夫婦で描く安心の未来
ありがたいことに、夫は私の考えをしっかりと理解してくれています。
「どちらかが一人になったら、こっちに引き取って一緒に暮らしたらいいやん」
と自然に言ってくれるのです。その言葉に、どれほど救われたかわかりません。
さらに夫は、「もし母がこちらに来ることになったら、母の唯一の生き残っている妹さんも近くに住んでいるから、会わせてあげられるな」とも話してくれます。私一人で抱え込むのではなく、夫と一緒に未来を考えられることが、どれほど心強いことか。
気づきと新しい練習
実は「姉から何を言われても関係ない。私は私の価値観で判断していい」とはっきり気づけたのは、ほんの数日前のことです。まだ完全に心が揺れなくなったわけではありません。だからこそ、私は声に出して「関係ない」「私の価値観で決めていい」と何度も繰り返し、心に刻む練習をしています。心に刻む練習をしても、また姉から言われた言葉がふっと頭をよぎる時もあります。けれど、今は気付いたばかりだから仕方ない、そうして頭によぎってしまう自分を責めないようにしています。
これからも少しずつ練習を重ねて、たとえ揺れる日があっても、自分の価値観を大切にしながら前へ進んでいきたいと思います。
これまで長い年月、姉の言葉に縛られ続けてきた私が、ようやく自分の軸を持ち始めています。焦らず、少しずつ、この練習を重ねていくことで、私はようやく本来の自分の生き方を取り戻せるのだと感じています。